24✕365✕????

生涯モラトリアム

お金の価値について

いきなりお金とは関係がないが

いつかやる、いつか行く、いつか見る、いつか、いつかと言って4日目に死ぬ。

私はこの言葉が気に入っている。


もし寿命を1ヶ月20万で買い取ってくれるところがあったら私は売るかもしれない。

もし1年を240万で買い取ってくれるところがあったら私は悩むと思う。


実際に私は今まで1時間をたくさん売ってきた。それによって得たものもあったが退屈な時間が多かったように思う。

現に今、私は3ヶ月を売っている。何の面白みもなければ、微塵の達成感すらない仕事だが基本的に気が散ることもなく1日約8時間、頭の中で喋れたのは良かったと思う。

何も考える暇もなく繰り返しの作業で手一杯になっていたらと考えるとゾッとする。それこそ無駄な時間となっていただろう。例え私がボルトやネジを打つのが綺麗で早くなろうともそんなこと私は望んでいないし、私にとって何の意味もない。


1分で240万を得る方法を知っている者、1年で240万を得る者。どちらの240万の方が価値があるか。

答えは同じである。

しかし、1分で済めば364日と23時間59分好きなことに使える。ただ、私はそんな手段を知らないので時間を切り売りしている。


私とは違い立派に働き、勤めている人の中で寿命を切り売りしていることを意識している人はどれくらいいるだろうか。

時は金なり、と言うが人生を金に変えるのは如何なものかと思う。勿論その生活の中で多少の不満はあれど各々満足して暮らしているとは思う。しかし、私は常に不満足なのである。時に私は自分のこの性分を病気だと感じる。きっと私はこの病気が治らない限り所謂、普通、にはなれない。


いつか私は友達に「お金とは何か?」と聞かれたことがある。その時の私は「共通の価値、例えばみんなが貝殻や花に価値を与えるならそれでいい。今は貨幣や紙幣が価値を持っているだけ。」といったようなことを答えた。つまるところ目に見える信用である。日本銀行に信用があるから価値を持っているだけでそこの信用が無くなれば使いようがない。

そこからB to BとB to Cの話になり、信用と信頼の話といった具合に話したのだが、今日の私はそれを書きたい気分ではないので割愛する。


私は仕事もお金も手段と考えるのでそこを目的としていない。どちらも何かやりたいことがあったうえでその為に使うツールのようなものである。そんなのみんなそうだと言われるかもしれないが本当にそうだろうか。私自身にもこの問を投げたい。

本当にそう思っているなら嫌な思いをしてその場で働くくらいなら別の場へ移るし、目的もなく貯金もしないのではないかと思う。

ただ、だからといって貯金は無駄とも思ってはいない。もし何かやりたいことができたとき、多くの場合お金は必要となるのであって損はない。しかし、それに縛られ耐える必要もないという話だ。こんなことを書いていて私は内心これは不定食者の自分に対しての自己正当化なのかもしれないと思っている面もある。

私には何かやりたいことと言っても特に思い浮かばず、思い浮かんでも数日経てば熱は冷める。私は今、暇をつぶすために働いているのかもしれない。


死を記憶せよ。いつか死ぬことを忘れるな。という旨のタトゥーを彫ってある私だが日々を捨てている実感がある。

私は帰国する少し前から帰国してしばらくの間、明日死ぬかもしれないとは言わないが1年後、または数年後には死ぬかもしれないと思ったらやっておくべきことがなんとなく見えた。


みんないつかを待っている。そして待っている時間に居心地の良さすら感じているかもしれない。

私は半年アジアを歩いてみたが終わってみれば虚しいものだ。私には目的が無かったのだ。だが歩いてみて良かったと思う。行ってみたいところにはすぐに行けることを知ったしアジアであればどんな場所でも自分は生きていけると知った。

例えば月に約20万円の給料を貰っているとした場合、数ヶ月、場所によっては1ヶ月時間を売れば行けてしまうのである。これは私の行ってみたい欲を殺した。どこもかしこも行こうと思えば行ける場所になってしまったのである。変な話、近所の公園と同じレベルである。

だが、もしこれを読んでる人がどこか行ってみたい場所を持ち、そこがある程度の時間とお金を要する場所だった場合、行ってみることを勧める。

そして、帰ってきたあと一緒にグーグルアースで見るのと変わらないよなと話し合いたい。綺麗な場所は綺麗に写真を撮るのが上手な人の写真で見る方が断然綺麗なのである。


お金の話から大幅に逸れてしまったが、私はお金が大好きでお金が大嫌いである。愛憎の念が入り混じっている。だからこそ好きなことを仕事にの風潮に対しても真摯に向き合い、結果奈落に落ちているというわけだ。

今日は勢いで書き始め、上手く言葉が続かないのでもうやめる。