罪悪感について
私は一時の罪悪感を感じやすいと思う。
自分の言動を振り返るといい気はしないことが多い。
そして、むしろ罪悪感を美化してるフシがある。
これは非常に良い言い訳になることを知っているからである。
実際に罪かどうかは置いておいて、罪の意識はあらゆる行動を制限してくれる。
〜をやりたい。でも〜だから出来ない。
基本的に何事も自分の中の天秤にかけて行動を選ぶ。その結果、やらなかったことは本当にやりたいことなのかという疑問が残る。
〜をしてまで〜をやりたくない。とほぼイコールなのだ。
だから私はあまり〜をしたいと言えなくなった。考えてしまうのだ。非常に生きづらくなった。
行動を細分化すると罪悪感は減る。
匿名にすると罪悪感は薄れる。
しかし罪悪感は残る。というか残って欲しい。
残って欲しいというのは悪意が僅かでもある場合の言動に対してだが、そうではない場合は罪悪感をあまり感じずに生きる方法を探さなくてはいけない。
罪悪感は無限に湧いてくる。当人の感じ方次第で殆どの行動は罪悪感へと繋げることができる。
この世の全ての悪は自分のせいだと思うことも可能だろう。
話は飛躍してしまったが、一度感じてしまった罪悪感は案外残る。
そしてそれを理由にしばらくの間、私は幸せになれるような人ではないと思うようになる。
そこはさすが人間、殆どの罪悪感は時間が解決してくれるようになっている。だからみんな平気な顔して生きている。
問題は時間が解決してくれない罪悪感である。これは正直どうすることもできない。だから私はこいつらと一緒に墓へ入るつもりである。
対処の仕方を私は知らないのだ。
軽減するのであれば他の人に言えばいいような気がするが、わざわざこんな重いようなトピックを他の人に言いたくはない。聞くことを職としてる人にならと思ったこともあるがやはり腰が重い。
それは上に書いたようにわざわざ予約してお金を払うくらいならこのなんとも言えない罪悪感によるナルシズムを抱えて生きていたいのである。
そして、むしろ私は人の罪悪感を軽くするような職になら就いてみたいと思ったこともある。しかし金を貰うことは悪的な思想の抜けきらない私なので、心を止む可能性がある。また、人による影響を受けやすいところもあるので心を壊す可能性がある。何にしても何か行動を起こす前に諦めたのである。全くもって意味のない思いつきであった。
そう思う反面、人の罪悪感を軽くしてあげたいと思っていることは真実なので更に意味がわからなくなる。
もはや、バグである。頭がおかしくなりそうだ。
犬の散歩中に書き始めてしまい、着地を考えていなかったので困っている。