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生涯モラトリアム

最近のバトルシーンについて

ボクはHIPHOPが好きだ。

10代半ばから気がつけば長い間聞いている。そしてMCバトルをよく見る。

HIPHOPと一括りにしてはいるが、どんなジャンルであれ、もうそれはそれはたくさんの種類の曲がある。世間で言うところのHIPHOPは不良っぽい音楽なのかもしれないが、ボクはサグなものはあまり好んで聞いてはいない。

しかしボクは自分がよく聞くものをHIPHOP以外の書き方を知らないしジャンル分けが同じ以上、今はHIPHOPとまとめてと書こうと思う。

好きな曲、好きなアーティストはまた別で書くとして今回はMCバトルについてボクが思うことを残しておこうと思う。


ボクはここ数年でHIPHOPの認知度はかなり上がったと思う。高校生ラップ選手権やフリースタイルダンジョンなどのテレビの影響で多くの人が見る機会が増えた。そしてたくさんの若い子がマイクを握り始めた。

ボクは素直にラップの上手な若い子が多いと思っている。飽きずに見ていられる要因に新しい顔は必要である。しかしHIPHOPが見たいボクには少し物足りなくもある。上手なラップが見たいなら曲を聞けば十分なのである。もちろんセッションとも思えるようなクオリティのバトルは好きだが、大抵はただの上手なラップである。MCの色がない。


今回ボクはネタがどうだとか、フローがどう、あの試合の誤審がどうと言うつもりはない。ただ、草ネタと言葉の重み、この2点について書きたくなったのだ。


ここから草ネタに入るのだが、確かにボクが見始めた頃から草ネタはあった。しかし、最近のものとは少し違ったように思う。これがただのボクの懐古主義的な考えなのかはわからない。自分が歳をとり年下が言うから疑問に思ってしまうのかもしれない。そうなのであればボクは小物である。

そして、そもそもボクはHIPHOPとweedの関係のルーツを知らない。ここで言うHIPHOPは日本のHIPHOPである。密接に関わっているようで実際には大した関係はないんじゃないかとすら思っている。レゲエであれば、ボクでもわかる。

ボクは最近の若いMCが湧きどころだぞと言うように草ネタを放り込むのを見て大抵は上がらない。そのMCのことをよく知っている訳ではないが、変な話中学生のタバコ自慢のような感じがしてしまう。そこにカルチャーを感じないのである。

そして、ボクはバトルで悪いことをHIPHOPで正当化して大声で叫ぶMCが苦手である。そんなことはこっそりやるか曲にして作品にして欲しい。

悪さ自慢で草ネタを使うのなら失笑ものであるし、そういうMCは万が一マヨネーズが違法化されたら「おれはマヨラー」とか「卵黄、酢、塩、オイルが4大エレメント」とか言って自慢するのであろうか。

悪さ自慢ではなく嗜好品として誇っているのであれば、それは好きなジュースでも煙草でも代用は可能である。

とは言え、凝ったワードセンスを用いたイリーガルなバースには上がらざるを得ない。

違和感なく俗に言うコンプライアンスに引っかかるワードを聞けるかどうか、そこの線引が自分でも曖昧なのである。


次に言葉の重み問題である。ボクは確かに重みは大切であると思う。というより説得力の話である。これは草ネタにおいても同様である。

果たして、「おれにはこれしかねえ」「これで飯を食う」みたいな言葉を吐くMCに本当にその覚悟があるのか疑問である。もしもあるのならバトルのエントリー費は広告宣伝費で落とすくらいはしておいてほしいものだ。とまぁそれは冗談であるが、ラッパーとして飯を食うのなら賞金では無く音源で稼がなければいけない以上、即興とは言え上っ面の言葉を吐き捨てているようではこちらは曲を聞く気にならないのである。

適当に沸かすためにそれっぽいこと言ってる感じがするMCなどボクからしたら論外である。

即興であり、あくまでHIPHOPを前提としているなら少しでいいので思想を感じさせてほしいとボクは思う。そこに曲やバックボーンを掘り下げたくなる感情が伴ってくるというものだ。

話は少し逸れるが「バトルMCは曲がダサい」この曲を2013年に出していた松島は素直にすごい。

また真剣勝負なのかただの試合なのか。これも重要である。ボク個人の感想では最近は殆どがただの試合である。つまり試し合いだ。

真剣勝負と言ってもただバチバチの試合だけが真剣勝負ではない。自分の曲や色に合わせた真剣勝負が存在する。つまりプロモーションとして真剣にバトルに出て曲を聞いてもらおうとする姿勢があまりにも見えない。

興味本位でマイクを持っている人にそんなことを望むのがそもそも間違っているのかもしれないが、おふざけや練習なら鏡に向かってやっておいてほしいというのが本音である。


日本のHIPHOPシーンとしては盛り上がりかけているが、ボクにとってカウンターカルチャーを含むHIPHOPは死にかけている。


ボクはメディアがどうこう言うつもりはない。かっこいいMCには金を稼いで曲を出してほしい。その手段としてメディアがある。

そこでテレビに出た云々と言ってしまうとMCは皆貧乏になり曲を出せず、それはそれで悲しい結末となる。


また何か思えば書いてみようかと思うが、今回はこれ以上はやめておく。というより推古するのが面倒である。


なんだかんだと言っているが私はMCバトルを見続けるであろうし、まだ日本のHIPHOPを聞き続けるであろう。日々くそみたいな曲が生まれる傍らで素晴らしい曲もまた生まれている。

父について

私は一般的に言う不仲な両親の間に生まれた。私の記憶には2人の仲の良かったと思われるシーンは無い。かと言って私が愛されなかったかと言えば違う。それぞれに人並みには愛されていたと思う。

母親はしきりに私の心配をする。父は私が生まれたばかりの頃、祖母が仕事に行けと怒るまで私のそばを離れなかったり、私のために山奥の綺麗な水を毎日汲みに行ってミルクを作ってくれていたらしい。父に関して言えばある程度、私が育ってから父親としての優しさはあまり感じたことがない。


母親は心配性で鬱気質な過干渉な人。

父親については上手くかけない。これは私の表現力の不足と簡単な言葉で表したくないという自分のエゴでもある。


そこで今日は父親について書こうと思う。と言っても生物学上であって戸籍上はもう違うがそんなことは今は関係がない。

父は中卒の建築系の仕事の一人親方である。私は中学3年生の頃から高校、大学と休日や長期休みには度々手伝いに行っていた。

父はもう何十年もこの仕事を続け、職人と呼ばれるような部類なのだが圧倒的に自信が無いように見えた。それは父自身があまり言葉を知らないからだと考える。

簡単に言うと学がないからこれしかないと自分に言い聞かせているような感じだ。だから多分、あまり他人とのコミュニケーションは得意でなかったと思う。父は自分の無知が露呈するくらいなら黙っている方がいいと考えていた。

技術があっても売り方を知らない。かと言って自分は馬鹿だと思っているので学ぶ姿勢も無い。こんな仕事は猿でもできると以前酔いすぎた時に言っていた。

私は父に怒られた記憶が殆どない。それが無関心だからなのか、適切な言葉を知らないため怒ることが出来ないからなのかはわからない。

私の記憶にほんの数回だけ私に怒る父は存在するが、その父は酒を飲んでいた。酒を飲むと気の大きくなるタイプなのだ。たぶん酔いでコンプレックスが消えていたのだろう。

父は酔うと荒れることがあった。

父の荒ぶりで印象に残っているシーンが3つある。どれも私に怒りの矛先が向いているわけでは無いから怒りの原因は覚えていないが私の記憶には荒れた父が残っている。

1つ目は弟が小さい頃の話で、その日母は家を空けていた。弟は頭を両手で持たれ吹き抜けの2階から吊るされ泣いていた。父は何か言い聞かせているような感じではなく感情から行動し脅して従わせようとしていた。

2つ目も弟が小さい頃の話であり、また母のいない日だった。父は弟に対し怒り、そして怒鳴りトンカチを持ち出しゲームを壊した。割れたディスクとハードと泣く弟が記憶にある。この時もやはり力によって屈服させようとしていた。

3つ目は弟と母が怒りの対象でその場に私はいなかったが父は二人に手をあげた。そのとき私は高校生であったし、別な理由から自分はこの家の父親役をやらなくてはいけないのではないかと母による洗脳を受けていたのでなんとも言えない責任感が芽生えていた。私は父の部屋へ行き何故二人に手を上げたのか聞いた。基本的に私は我が家の永世中立国なので原因次第では情状酌量の余地があると思ったのだ。父の返答は覚えていないが今度は私に怒りが向いたらしい。父は私に掴みかかった。その後は揉み合い、私は父をチョークスリーパーで落として閉幕した。初めて人を落とした私は殺してしまったのではないかと怖くなった。意識のない父を部屋に残し弟と母のいるリビングに戻り母に父を落としたと伝えてから自分の部屋に戻り膝を震わせた。

3つ目の出来ごと以降、父は少し大人しくなったがそれはそれで私は悲しかった。もともと無い父親としての意識が父から微塵もなくなった。私は酒があまり好きではない。

と3つ書いてはみたが、ただの記憶の整理である。生きてればこんなこともある。


少し話を変えるが、たぶん父は母が好きだったのだろうと思う。ただ彼は上手く言葉に出来なかっただけで。でなければ毎日のように言われる小言に何年も耐えられるはずはない。

そして母も稼ぎがあるときの父は好きだったのだとも思う。男と女から父と母ではなく男と母になってしまった結果だと思う。


父は離婚したとき弟に

「こんな俺の子でいてくれてありがとう。俺は読み書き算盤も出来ないし仕事もない。今更この歳で別の仕事やアルバイトをしようにもそんな勇気は無いんだ。死ねるなら死にたいけどそんな勇気もない。」

と泣きながら言ったと聞いた。私はこれを聞いたときにとても複雑な気持ちになった。同情する気持ちと冷酷非道な気持ちが入り混じった。しかし子どもに同情される父も惨めだと思い、同情するのも申し訳なくなった。

また、なぜそんなにも愛していたなら死ぬ気で家族の生活を守ろうとしなかったのか。私達が明日食う飯より自分が社会と向き合うことの恐怖が勝ち部屋に閉じこもっていたのだ。父の天秤は私達の衣食住の安定やそれによる精神の安定、安心よりも自分への言い訳に傾いたのだ。

とすると私や弟は本当に愛されていたのかすら疑問になる。父の言い分もよくわかる。私はこれ以上どう書けばいいかわからない。

ちなみに私はそのとき一人旅の最中でタイのチェンマイにいた。離婚の報告を聞いた日の夜、初めてレディーボーイを買い心ここにあらずの状態で腰を振った。


最後に少し話が脱線したが元に戻そう。

父は子どもが好きな人だったと思う。親戚の子と遊んでいるときは幸せそうだった印象がある。

父とは関係ないが私は親戚の子や他人の子には自分に責任が無いから好きだ。しかし自分が親になったとしたら怖くて仕方ない。

父は純粋に優しい人なのだ。しかし悪く言えば、自分より弱いものにはとことん優しい人なのだ。だから犬にも猫にも優しい。また、私や弟が何か頼めば基本的にはやってくれる。そしてある時期までは酔ってないときの父は人畜無害であった。

その優しさは母にとっては邪魔でしかなかった。その少しの優しさがあるが故、なかなか離婚に踏み切れなかったのだ。私は母に悪人ではないから、情があるからと度々言われた。それによって苦しめられてるのはわかっているのに人って大変だなと私は思っていた。なぜなら他人事だからである。

自分が母の立場なら同じように思うかもしれないが、私は2人の子供であるというだけでそこにそういったことはあまり持ち込みたくないと思っている。そこがまた難しいところでやはり考え始めるとどうも情というやつは邪魔をする。邪魔という言い方が合っているかはわからないが。

と言うように父のことを書こうと思ったのだがここから先は自分との対話になってしまうのでここで一区切りとしようと思う。

はじめに

予め伝えておくが、これは私のマスターベーションの記録である。したがって他人にとやかく言われる筋合いはない。

しかし、それなら何故ブログという形を取ったかということだが、それは私が他人に見られると興奮する変態的嗜好に目覚めつつあるからである。

 

今後私が書くことで前はあー言っていたのに今回はこー言っている、ピーマンは正義と言った数日後ピーマンは諸悪の根源だ。などと違うことを言うかもしれないがマスターベーションとはそういうものだ。

私は素人でもプロでも人妻でも企画でも外国人でも気分次第では何でも抜ける男なのだ。そして「我、ギャル以外受ケ付ケヌ」や「二次元ハ神ナリ」などと言うような絶対的な主義主張は何事にも持ち合わせていない。

 

また、このブログはあくまでフィクションであり、この中の私や父、母、その他登場人物は全て私の頭の中に存在するだけということにしておく。

 

というわけで、今日から自分の好きなものを見せびらかし、自分の経験をひけらかしていこうと思う。